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【仕事】「協力」と「助け合い」は本当に『チームワーク』を生むのか?

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こんばんは! けんぼーです(。・ω・)ゞ

 

今日は、最近ぼくが職場で感じる違和感についてお話ししたいと思います( ・ω・)ノ

 

 

『チームワーク』『協力』『助け合う』

 

アナタも職場でこういうフレーズを聞いて円滑に業務を推進するために周りの方をサポートしてきておられるのではないでしょうか?

 

日本人らしい素晴らしい精神だと思いますよね。

 

だけど、この言葉の魔法に囚われてはいけません。また、この言葉や行動を安易に使ってはいけないなと思うようになりました。

 

なぜなら、時にはこの素晴らしい言葉の名のもとに良かれと思って行った事が好ましくない状況を生んでしまっていることが頻繁にあるからです。

 

これは助け合いや協力と違うだろうー!ってのを少し例えて書いてみようと思います( ・ω・)ノ

 

 

助ける協力する相手が最善を尽くしていない時

これを判断するのは、ごく至難の技です。

 

例えばAさんが2,3日後迄のスケジュールが分かっていて、当日まで余裕をかまして自分で自分を追い込んでおいて『間に合わないから手伝ってー』っていうような人だったらアナタは手伝いますか?

 

一回だけやたまにあるくらいなら仕方ないなーって親切なアナタは手伝ってくれるでしょうね♪

 

だけど、毎回そんな行動だったらどう思いますか?

 

なんで?もっと前日からやっておけば、毎回こんなに当日手伝ってもらう必要ないんじゃない?

 

っていくら優しいアナタでもなりませんか?

 

自分で処理できるなら前日までいくら余裕をかましていても構わないとは思いますが、、、

 

ここで間違っても、ああーこの人は計画的に出来ない人だから僕が手伝わないといけないんだなぁなんて思って手伝ってあげてはいけません。

 

何故ならば、この人は自分で出来る最善の手を尽くしていないからです。そして、何かあってもまた手伝ってもらえるという甘えが生まれて同じ行動を取るようになるからです。

 

だから、手伝い助け続ける限りこのタイプの人は、自らその業務をやり遂げようという意志が芽生えることはないのです。そして、もちろん自分の業務を早くこなすことができないので人を助ける余裕もその意欲もない場合が多いです。

 

だけど、この人が最善を尽くしたけどどうしても出来ないなと判断するならば手伝って助けて上げましょう。そしたら、その人はきっとアナタが困った時に手伝って助けてくれるでしょう。

 

これは出来る出来ないの問題ではなく意識の問題です。仕事において助けてもらうというのはあくまでも一時の補助で考えるべきです。そして、普段助けてもらった分、相手が忙しくて自分に余裕があるなら手伝ってあげるよという意識をお互いが持つ事で初めて『助け合う』という素晴らしい言葉が生きてくるのではないでしょうか?

 

その人自身にも本業があるという意識を持たなければいけません。だから、毎回お願いするのは申し訳ないなという気持ちにならない限りその人の成長はそこで止まったままになってしまいます。

 

だから、その大切さを気付いてもらう意味でもそして周りの他の人のためにもその手伝わない意図を本人にきちんと伝えてあげるべきだと僕は思っています。

 

手伝ってあげる、助け合う、協力という素晴らし言葉や行動が時には人の成長を妨げてしまう可能性があるという1つの例だと思います。

 

これは、仕事上の事ですがチームワークというものを効率よく発揮するには一人一人が周りのチームメイトを思いやり各自の仕事を最低限の責任を持ってやり遂げること。それが繋がることで大きなチームワークが実を結ぶような気がします。

 

なので一人でもその思いやりが欠けることで本来のチームワークを実現させることが難しいような気がします。

 

助ける協力するを強要する

仕事上で『助け合う』『協力』することがあたかも『チームワーク』を生んでいくと勘違いしている人がいます。

 

そういう人はすぐに『僕が手伝います』『みんなで協力しましょう』と安易に言葉を発してしまいます。

 

パッと聞けば凄く良い事を言っているように聞こえますが果たしてその『手伝い』『協力』は本当に必要な事なのか?手伝う、協力する側の状況や意見は?って思う事があります。

 

これを安易にすぐに連発する人は、僕はあまり好きではありません。自分は良い事だと思って言っているのになんでアナタは協力的ではないですか?って臭いがプンプンしてきます(笑)

 

何故ならば、本来は仕事上の協力や助け合うというのはそれなりの理由があって当事者同士が納得して行われるべきであって協力や手伝いを第3者がその言葉を使って強要したり、進んで手伝う人を良しとする間違った評価がなされてはいけないのです。

 

 

手伝う人間が評価される。

 

率先お手伝い人間が状況を省みずにお手伝いアピールをする。

 

”手伝わない人間”が悪く見られる。率先お手伝い人間がお手伝いすると本業の人数が減る。その本業のカバーを“手伝わない人間”が負担しているのにそこはなぜか評価されない。ってか見ていない。という理不尽さ。

 

そうなんですよねー(。-ω-) 手伝わない人間の手伝わない理由より自分の評価を上げるための手伝うアピールする方が何も知らない周りの人から見れば良く映りますよね( ´△`)

 

だけどそんなアピールだけ人間を作ってはいけないのです。本来は仕事の能力でアピールして評価されるべきだと思います。

 

自分の評価を上げるために人のお手伝いをしたり、アピールすることは間違っていると思いませんし、むしろ良い事だと思います。

 

だけど得てして自分のアピールだけの為に手伝う場面を間違う人は、本業が疎かになってきます。手伝うということはその間は自分の仕事の意識が薄れやすくなってくるからです。

 

他人の仕事を手伝うことよりも先ずは自分の仕事を完結させる事を優先しないとどっちが本業かわからなくなりますよね(笑)

 

まとめ

というわけでいかがだったでしょうか?

 

今回は、僕の職場でのちょっと疑問に感じる助け合い精神の摩訶不思議を書いてみました。

 

アナタの職場でも同じような経験はありますか?

 

僕は基本的に状況の判断次第で手伝う、協力する。必要ないなと思えば断る、やらないスタイルを取ります。

 

なので必要以上に手伝う人やそれを強要する光景はなんか妙な違和感を感じずには要られないわけですね(笑)

 

だって自分の子供の成長の過程にだって優しさの中に厳しさは必要ですし、良いこと悪いことは親が判断して教えてあげなければいけないですよね?

 

手伝うと協力は意味が全く違いますし、優しさでもないですよね。困ったときにすぐに手を差し伸べることが必ずしも良いことではなくてあえて見守る厳しさが判断できてこそ本当の優しさと思いやりなんじゃないかなと思っています。

 

他にも書きたい事はたくさんありますが今日はこの辺で♪

 

それでは。また( ・ω・)ノ